今朝はずいぶん涼しいな。
昨夜の生放送、「AiLARA」からいろいろな切り口で
現代の問題とつながっていく深い洞察が示されて、
本の宣伝をさせていただいた上に、新たに考えを深める
時間だった。
表現者の孤独の話、時代の熱と人間の中身のこと、
パック旅行と近代化の話、それから、大衆化と毒の話、
特に、帰りの道すがら、
そもそも「毒」の素はどのようにその人に溜まったのか、
「毒」の精製を、自分はどこまでできているのか、
それから「時代」って人間の劣化の言い訳にしていいのか、
ということがぐるぐる頭をめぐって仕方がなかった。
「壁に打ち勝つ」みたいな言葉があるけれど、
自分の場合は、「壁」というより数々の「まがい物」に当たって、
それに打ち勝てない、つまり、見抜けないままでいて、
ある日それがわかって、自分をひどく恥じるということが
すこぶる多かったりする。
「まがい物」ってのは、特定の人物の場合もあるけど、
誰もが使っている言葉だったり、感じていることだったり、
流通している情報だったり、現象だったり、思考だったり。
自分の感覚、感情、意識すら、どこかから植え付けられたか、
規定されたものでしかない場合があるんじゃないか、と。
それでいろんなものを脱ぎ去って、捨て去って、また挑むんだけど
しばらくすると、また、まがい物に惑わされている自分に気づく。
マトリョーシカに閉じ込められた『トゥルーマン・ショー』かよ、
みたいな。
それがものすごく嫌なんだ。
自分の眼が見えていなかった、ということを恥じる連続でもある
のだけど。
ただ、「まがい物でないもの」を求めるよりは、
自分に備わっているはずの、知性と両立する野性を、もっと研いで
鋭敏にしていくほうが良いと思いなおした。
野性って、近代化され尽くした現代ではあまり良いイメージのない
言葉なのかもしれないけど、人間が感覚を研ぎ澄ましてゆけば、
そこにはやっぱり野性が立ち現れるものじゃないのかな、とか。
あと、人生計画…というか伴侶選びってやっぱり大事なんだなあと
思った。
だけど、思っただけで、その後あまり重大なことに感じなかった。
それほど私の関心にないみたい…。だからダメなんだと思う。
どうしたらいいんだろう。バランスをとりたい。